学級経営向けの絵本
学級経営をするにあたり、子どもたちにいろいろな話をする。
「一人ひとりの個性を認めていこう。そんなクラスにしていこう。」
そんなメッセージを伝える際に、ボクはこの絵本を読むのです。
国語の教科書に載っている「おてがみ」の物語の作者、アーノルド・ノーベルの絵本です。
(あらすじ)
世界は最初、色がない「はいいろのとき」だった。
そこで、まほうつかいが色を作り出し、世界に色をつけてみた。
でも、あお一色では、みんな悲しい気持ちになった。
きいろ一色では、目がチカチカして大変だった。
あか一色では、みんなおこりっぽくなってしまった。
どれもうまくいかないので試行錯誤していたら、3つの絵具が混ざり合い、様々な色がうまれた。
それらのいろをみんなに渡し、それぞれ色をつけてもらったところ、世界は色とりどりの素敵な世界になった。
…というおはなし。
物語の最後に、世界がカラフルに塗られたページを開いたときの印象が鮮烈。
(だって、そこまでどのページも基本単色なので…)
絵本を読んだあと、
「人間だって、みんな色(個性は)ちがう。全員同じ個性の教室なんてありえない。」
「だから、それぞれの色を認め合って、色を生かしあって、カラフルなクラスにしよう!」
そんなことを語ってきました。
学級便りのタイトルも、それにちなんだタイトルにした年もあります。
大地の変化と「島クイズ」
授業はストーリー
「いい授業にはストーリーがあるんです。」
教育実習に行っていたとき、指導教官の先生から言われた言葉。
今でもしっかり覚えていて、教材研究をしている際に思い出す。
現場に出て幾度となく授業をやってきたけれど、
この言葉はやっぱりその通りだよなぁと、あらためて感心する。
だって、流れ(ストーリー)のない授業なんて、聞いてて苦痛だもの。
自分が授業を受ける立場だったら、きっとわかりにくくて疲れてしまう。
だから、授業をする際には、できる範囲でそれをイメージしてやっているつもり。
さすがに全ての授業で完璧なストーリーを考えるなんて無理だけど、
力を入れたい物語文や、自分が好きな理科の授業ではとくに意識している。
だってさ、理科の地層や災害の授業で教科書通りに、
「地下ではたらく大きな力により断層ができ、それが地震の原因となっている。」
なんて言われたって、
「大きな力ってなに!?」
「なんで断層ができるの!?」
「どうしてそれが地震につながるの!?」
「なぜ日本では地震が多いの!?」
などなど、きっと子どもの頭の中は「?」ばっかりになってしまう。
だったら、小学校の学習範囲ではないけども、
大陸移動説や、プレートの話、などにもふれることで、ストーリーができる。
ちょっと難しい話になるけども、プレートの移動につながるマントルの対流なんて、
4年生で学習する、あたためられた水が対流する様子と、そっくりそのまま。
【参考】1-1 地球表面の移動……マントル対流とプレート運動
https://www.jishin.go.jp/main/pamphlet/mech/1-1.htm
(政府 地震調査研究推進本部)
こういうのを、いかに小学生の子どもたちに分かりやすく伝えるか。
そんなことにコダワってみることも、ときどきあります。
iPadを手帳として使う
iPadを職場で日常的に使うようになって2年。
iPadについては、授業の準備などに特化した使い方をしており、
それ以外のことについては別にノート2冊を用意し、それと同時進行で使っていた。
ノートについてはA5サイズのノートカバーに、
①キャンパスダイアリーA5(スケジュール管理用)
②A5サイズの普通のノート(仕事上のメモなどの記録用)
の2つを挟んで、スケジュールとメモを両立できるようにし、手帳替わりにしていた。
でも、その両立がちょっとうまくいかなくなってきた、2020年末。
3つを同時進行で使っていると運用がややこしくなってくる。
どの情報をどれに書くのかがごちゃごちゃになり、最終的にはメモもあまりとらなくなる。
「もういっそ、全部iPadでできないものか?」
そんなことを思い始めた2020年末。
やっぱり、世間にはいろいろなことに取り組んでいる方が居るもので。
まさに、自分がイメージしていた通りの使い方。
ちょっと、自分でも2021年はこれでやってみよう。
詳しい手法などはまた別のときに。
ブログ開設と方向性
初めての投稿なので、ひとまずごあいさつを。
はじめまして。
関東の片隅で、小学校の教員をしています。
毎日、授業やって、下校させて、明日の準備をして…と、ドタバタと過ぎ去っていく日々。
それでも充実感はあるけれど、ちょっと物足りなさも感じてみたり。
なので、ちょっと一念発起してブログを作ってみました。
日々の授業で自分が考えたり工夫したりしたことを残していけたら、
ちょっとは達成感とか、満足感を感じられたりするのではないだろうか。
…そんなコトを考えたのです。
それはそうと、
ボクの座右の書「知的生産の技術」で梅棹忠夫が、
(自身の記録をカードにして残すことについて…)
自分の知識や思想を、カードにしてならべてみると、なんだ、これだけか、という気がして、自尊心をきずつけられるような気がするのである。
と言っているとおり、かえって自信をなくす結果になる可能性もなくはないけれど…
それでもひとまず、やってみよう。
つたないブログになりそうですが、お付き合いいただければ、幸いです。